三波豊和(以下 三波)
こちらのお教室は、いつ頃からですか?
水島二圭(以下 水島)
昭和57(1982)年からです。
三波
それは長いですね。先生はもう、小さい頃から字はお上手だったんですか?
水島
いえいえ。元々は兄の影響で書を始めたので、書家になろうとはまるで思っていませんでした。だいたい大学は英文科でしたし、日本翻訳家養成センターも出て将来は翻訳の仕事に就く予定でした。
三波
えぇ?そうなんですか?
水島
ただ、私の家に日展の審査員の先生も時々いらしていて、私の書をご覧になり書家の道を勧めて下さいました。
三波
さすが、見る目がおありになる。
水島
私は書というものは、実用に根差していなければならないと思っています。しかし現実はパソコンでポンポン、書は今や趣味の世界になってしまいました。
三波
私も小学校時代はお習字を習いに行っていましたが、今はそんな話もあまり聞かなくなりましたね。
水島
正に展覧会のための書になってしまった。しかし実は彫刻や絵画とは一線を画すもの、芸術性より技術。食に例えるなら、きどった創作料理ではなく普段ダイニングに出てくる家庭料理だと思います。
三波
書の先生にこんな事をお聞きするのもなんなんですが…。お習字が上手い子なのに、答案用紙に書く字が下手くそな子がよくいましたが。
水島
三波さんも時代劇で筆を持つでしょう。どこを持ちます?
三波
はい、寺子屋のシーンで下の方を持ったら監督に怒られました。上を持つとそれらしく見えますね。
水島
正にそれです。大筆は上を持って腕の可動域を使って書きます。でも小筆(や硬筆)は下を持って指先を動かして書く。つまり同じ字を書くといっても、そこにはテニスと卓球くらい差がある訳です。
三波
なるほど。よぉ〜く解りました!
水島
書は、いわば線の良し悪しです。私の理想は細いが強い線。太くて強いのは当たり前、そのしなやかさが理想です。
三波
松でも梅でもなく、竹でいかなくては。ところで今、先生の所でお勉強されている方というのは?
水島
人生が一段落した60歳以上の方が趣味で、が多いです。他には学校の先生が本格的に、とか、文科省の書写技能検定試験を受けるため、という方も。この一級は、英検の一級を取るより難しいと言われています。
三波
そうなんですか。
水島
漢字は中国から渡ってきました。しかしただ中国文字を勉強してもだめです。表意としての漢字、表音としての仮名が混在する日本語、その調和こそ大事ですね。
三波
今日お話をうかがっていて、先生の日本語、そして日本の文字に対する大きな愛情を感じました。先生が書かれたこれらのデザイン文字も、単なる装飾ではなく、きちんとした書の道というものの裏打ちがあるからこそ人が感動するのだと思いました。
水島
有難うございます。書は力、明日も書のために腕立て100回です。
三波
それは凄い!私はゴルフのために…!